Translation

Welcome to Yuzaki Lab
    慶應義塾大学医学部柚崎研(神経生理学)では「神経活動や環境の変化が、どのようにして記憶・学習を引き起こし、どのように神経回路網そのものを変化させるのか」というテーマに沿って研究を行っています。詳しくはこちら
Past News
Journal Club
Recruiting!
意欲あふれる方の参加を待っています。これからの基礎科学を担う若手研究者を積極的に育てていきます。
   医学部修士過程はこちら
   医学部博士課程はこちら
   連絡先はこちら

「ゑれきてる」インタビュー

(3)

長期記憶、シナプス結合の可塑性

短・中期記憶の実体と考えられるシナプス伝達の機能的な可塑性について研究の1例をお話ししました。わたしたちは、長期記憶を担っているシナプスの形態的な可塑性についての研究も進めています。
その研究成果のひとつは、発達時のみでなく成熟後においてもシナプス形成と維持に必須であるCbln1というタンパク質の発見です。小脳は運動機能を司っていますが、Cbln1を欠損させたマウスでは小脳にシナプスが形成されず、重度の歩行障害を示します。一方、Cbln1欠損マウスの脳が成熟した後に、小脳にCbln1を注入すると、急速にシナプスが形成され、歩行障害が回復します。神経細胞同士の間にシナプスを形成させる作用をもつ分子をシナプスオーガナイザーとよんでいますが、Cbln1はそのひとつです。
また、グルタミン酸受容体のひとつ、デルタ2グルタミン酸受容体(GluD2)欠損マウスもCbln1欠損マウスとよく似た運動障害を起こすことも発見しました。GluD2とCbln1はそれぞれ20年以上前に別々に発見された分子ですが、一見関係のないこれらの分子が複合体を形成して、神経細胞間の接着と成熟を促しているという驚くべき発見につながりました。この研究は小脳の病気による運動障害の治療法の開発につながることが期待されます。

3者の結合体がシナプス結合の接着剤

Cbln1とGluD2がシナプス形成を強力に誘導する作用をもつことはわかりましたが、さらに調べてみると、ニューレキシンというタンパク質との相互作用が必要であることも明らかになりました。神経細胞が合成して放出したCbln1が、シナプス前部の細胞膜に存在するニューレキシンと、シナプス後部の細胞膜に存在するGluD2とともに三者コンプレックスを形成することにより、まるで接着剤のように神経細胞間を繋ぐシナプスを形成・維持するらしいのです。
また、Cbln1やGluD2に似た分子は小脳のほかにも、海馬や大脳皮質などにも発現することがわかってきました。成熟脳における新しいシナプス形成機構の解明をさらに進めることにより、記憶・学習の基盤となる脳機能のさらなる理解に貢献するものと期待されます。
さらに、こうした研究は、シナプス異常が原因と考えられる加齢による認知症や精神神経疾患の治療につながるかもしれません。あるいは、新生神経細胞と既存の神経回路とを機能的に再接続する機構の解明や制御を可能とする基盤的技術の創出、つまり再生医学につながる可能性もあります。

PETへの期待

これまでのわたしたちの研究ではマウスをモデルとしています。細胞―回路レベルにおける記憶現象はヒトと共通する基本原理が用いられていると考えられますが、やはりヒトの個体レベルの現象を理解するためには、ヒトの脳内でのAMPA受容体の動態を知ることが必要となります。認知症やうつ病、統合失調症などの精神・神経疾患では脳部位間をつなぐシナプス結合の変化が数多く報告されていることから、AMPA受容体の量が変化していることが強く予想されますが、残念なことにヒト脳においてグルタミン酸受容体を可視化できるツールはまだ確立していません。PET(Positron Emission Tomography:陽電子放出断層映像)を使って、ヒト脳におけるAMPA受容体の増減を可視化できるPET分子プローブの開発が望まれます。
AMPA受容体は記憶の形成に必須な受容体であることはわかっています。創薬や治療法の開発や精神・神経疾患の診断や病態解明のためには、個体レベルと細胞―回路レベルの現象を関連づけるためのツールが必須です。

海馬、大脳皮質、扁桃体

ヒトの個体レベルの記憶では、大脳辺縁系領域にある脳領域である海馬が注目されてきました。1950年代にてんかん治療のために海馬を切除した患者HMが有名ですが、個体レベルでのエピソードに関連した長期記憶の形成には海馬が必須です。五感を通じて入ったエピソード記憶(体験の記憶)の情報が大脳皮質を通過して、最初に集まってくる場所が海馬だと考えられています。そこが最初にシナプスが変化して記憶のエングラムができるのは間違いありません。
その後、大脳皮質など海馬からの出力を受けるところでもシナプスに変化が起きます。海馬に最初に記憶のエングラムができるとしても、時間とともに別の場所に移っていくというのも間違いないと思います。また、海馬の方は新しい記憶のために、元のエングラムはキャンセルアウトします。トラウマなど恐怖に関連した記憶には、エピソードとの関連では海馬も使いますが、情動と関係が深い扁桃体などが大きな役割を果たします。

細胞―回路レベルの記憶は脳内どこでも起きる

記憶の細胞―分子レベルの研究の一端を紹介しましたが、脳における記憶の機構を理解するとき、どのレベルを対象にしているかを見極めることが重要です。
細胞―分子レベルの記憶は、海馬、扁桃体、大脳皮質、小脳に限ったことではなくて、基本的には脳内のどのシナプスにおいてもシナプス可塑性は起きると考えていいと思います。海馬神経細胞を用いてよく実験されますが、海馬だけで起きる現象ではないことが多いのです。マウスの他の脳部位の神経細胞を取り出して人工的に刺激すると、シナプスの可塑性が起き記憶が形成されます。しかし、これはあくまで神経細胞でのレベルです。
この神経細胞レベルの話を個体レベルに安易に結びつけることは許されません。脳の記憶の研究といっても、どのレベルの研究なのかをふまえる必要があります。また、当然のことですが、それぞれのレベルで記憶研究の進展度合いが違います。
記憶の機構の研究は、一番下の細胞―分子レベルでは、3割くらいは明らかになったのではないでしょうか。個体レベルでは、最初に海馬にあったエピソード記憶がどのように別の場所にいって、記憶の想起はどのように起こるのかなどというようなことの物質的な過程は、まだ1割も解明されていないと思います。 <2016.03>

(つづく)

ページ: 1 2 3 4