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    慶應義塾大学医学部柚崎研(神経生理学)では「神経活動や環境の変化が、どのようにして記憶・学習を引き起こし、どのように神経回路網そのものを変化させるのか」というテーマに沿って研究を行っています。詳しくはこちら
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「ゑれきてる」インタビュー

ゑれきてる

特集「記憶・想起・忘却の機構を探る」

SPECIAL特集
記憶の脳内メカニズムの物質的過程を明らかにするーシナプスの可塑性が記憶を形成する

わたしたちは脳の中でどのような機構で記憶し、あるいはその記憶を想起し、忘却しているのでしょうか。脳内にその記憶のエングラム(痕跡)を求めて長い記憶研究の歴史があります。記憶は脳内の神経細胞の接合部であるシナプスの可塑性(plasticity:柔軟性、可変性)として蓄えられます。記憶の持続時間に応じて、短・中期的な記憶はシナプス伝達効率の機能的な変化として、より長期的な記憶はシナプス結合そのものの変化としてそれぞれ蓄えられると考えられています。
また、記憶の内容に応じてさまざまな脳部位が関与することがわかっています。たとえば運動の記憶(手続き記憶)は小脳、エピソード記憶には海馬や大脳皮質、海馬が主に関与していることもほぼ間違いないだろうと考えられています。しかし、その詳細な機構の多くは未解明です。脳内の記憶研究の現状について慶應義塾大学医学部生理学(神経生理学)教授柚﨑通介さんにうかがいました。

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心身医学から神経生理学へ

わたしは、体の病気を心の面からアプローチするという心身医学に憧れて医学部に入りました。「病は気から」、というようにヒトは、心の在りようで免疫力が落ちて病気になることがあります。もしそうだとすると、心の面からアプローチしない限り、せっかく体の病気が治ってもまた再発するのではないかと思っていました。
医学部入学後に自分なりに心身医学を勉強するうちに、当時の心身医学での治療法は座禅や瞑想あるいは自律訓練法などが主体であり、心をブラックボックスとして扱っていることに不満を感じるようになりました。精神医学にも非常に興味があったのですが、精神分析や心理療法と、他の医学分野における実証的な診断・治療方法とのギャップが気になるようになりました。

記憶のエングラムを求めて

そこで、心の物質的な基盤、つまり脳そのものを研究したいという思いが強くなり神経生理学の研究に入りました。わたしは記憶のメカニズムを解明したいと思いました。脳は数百億個といわれる神経細胞のひとつひとつが数千から数十万のシナプスと呼ばれる接合部を介してつながり、化学信号を電気信号に変換することによって情報を伝達します。神経細胞の活動が一定期間変化すると、シナプスにおける情報伝達の効率が長期的に変化する現象「シナプス可塑性」が起きます。すなわちシナプスは情報伝達のみでなく、シナプス可塑性によって記憶エングラムを作り出す装置なのです。
脳の研究にはさまざまな階層がありますが、シナプス可塑性は、細胞―回路レベルにおける記憶の基礎過程にあたります。シナプス可塑性が起きる脳領域によって、個体レベルでは、運動の記憶やエピソード記憶などさまざまな記憶現象につながります。
同じ痛みが繰り返し続くと、本当の痛みの原因が消失した後でも痛覚過敏が起きますが、これは痛覚経路におけるシナプス可塑性による「痛みの記憶」です。湾岸戦争や大災害の後に起きる心的外傷後ストレス障害(PTSD)も細胞―回路レベルではシナプス可塑性異常が起きています。またさまざまな精神疾患や発達障害の基盤としても細胞―回路レベルでのシナプス可塑性の障害が考えられています。

2種類の脳の可塑性―短・中期記憶と長期記憶

記憶のエングラム形成の元となるシナプス可塑性は2種類のメカニズムによって引き起こされます。一つはシナプス結合の増減による神経細胞の配線そのものの変化です。かつては、成熟後の脳においては新しいシナプスはできないと考えられていました。しかし、生きた動物の脳におけるシナプス形態の変化を可視化する技術の革新によって、生涯にわたってシナプス形態は変化しつづけることが近年明らかになってきました。
もう一つは、シナプス形態は変わらないものの、シナプス伝達の効率が機能的に変化する場合です。
記憶はどのような動物種においても、その持続時間に応じて、短・中期記憶と長期記憶に大別されます。時間軸は動物種によって多少異なりますが、ヒトではそれぞれ秒~時間単位と日~年単位に相当します。前者はシナプス伝達効率の機能的な変化、後者はシナプス結合そのものの変化として蓄えられていることが明らかになりつつあります。

短・中期記憶を担う長期増強と長期抑圧:塑像と彫像

短・中期記憶には、二つの種類があります。シナプスの機能的な結合が強くなる、つまり情報が伝わりやすくなる長期増強(LTP:Long-term Potentiation)と、シナプスの機能的な結合が弱まる、つまり情報が伝わりにくくなる長期抑圧(LTD:Long-term Depression)です。いずれも個体レベルでの短期・中期の記憶の実体のひとつです。単純化して言ってしまうと、覚えるときにはLTP、覚えたことを忘れるときにはLTDが使われていると考えられます。面白いことに、小脳神経回路ではまったく逆であり、覚えるときにLTD、忘れるときにLTPが使われるとされています。符号は異なっても情報の貯蔵という意味では同じことであり、塑像でも彫像でも、エングラムの形成という観点からは同じと考えられます。
LTPとLTDが起きるメカニズムとしては、長らく論争が続きましたが、現在ではシナプス後部にあるグルタミン酸受容体の数の増減が主に決めていると考えられています。グルタミン酸受容体が増えた状態が保たれればLTP、受容体が減った状態がLTDです。
わたしたちの研究室では、このような短・中期記憶を担うLTPやLTDのメカニズムの解明を目指しています。また長期記憶を担うシナプスの形態的な可塑性についての研究も進めています。まず、シナプス伝達の機能的可塑性についての研究成果の一例をお話します。
概略をお話ししますが、一部分子機構の話が入ります。将来、記憶障害や精神疾患などの治療や創薬などに結びつけるためには、詳細な分子機構の解明が必要ですので少しだけおつきあいください。 <2016.03>

(つづく)

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